ほんまに手の掛かる子

裕ちゃんがよく言ってた「ほんまに手のかかる子」というフレーズにこんなに頷ける日がくるだなんて。今日は自分のための更新かもしれない。感情的になってしまっていて、読みづらかったらごめんなさい。


いろいろな事がどんどん明らかにされていくなか、私はそれを呆然と眺めていました。憶測が飛び交った数日間、眺めてることしか出来なかった。事実になってしまうことが怖かったし、考えもまとまらなかった。何ども書き直した文章も全文をアップすることが出来なかった。それが下記の内容です。今さらだけど。


『最初は、「あー、なっち、かっこつけちゃったんだねー。」なんて軽く思ってました。だけど、だんだんと心配になりました。だって言葉は悪いし、相手のことを考えたら絶対にしちゃいけないことだけど、それでももうちょっと上手いやりようがあるでしょう。そんなことも思いつかないほど、あのひとは必死なのかな。理想の自分。みんなから愛される自分を作り上げるのに。そんなふうに考えだすと、なんだか痛々してつらくてたまらない。私はなっちのことなにも知らないのかもしれないなあ。ああ、なんだろう、寂しい、とは違うへんな気持ち。どっちかっていうと悔しい。もっと近づきたいという感じ。とはいえ、なっちのことだからのほほんと考えなしにしてしまったことなのかもしれない。やー、きっとどっちもなのかな。…わかんないよ、なっち。知りたいよー、なっちが!とにかく「ばっかだなあなっちは!」って笑って言えるといいなあ。だって、なっちはなっちのままでいいんだよ。』


こんなことをずっとぐるぐると考えていて、だから公式になっち本人の謝罪の言葉が発表された時、本当にほっとしました。…やっぱりそっちか!あまりにもなっちらしい!と思った。単純なのかもしれないけれど本当に心の底からほっとしました。彼女の言葉を私は100%信じます。だってなっちだもん。(なんか…ごめん、なっち)ノートの表紙になっち作詞ノートとか書いてあるんだろうな。


そして結局このような事態になってしまったわけだけれど、今の私はやっぱりほっとしてる部分が大きいです。もちろん残念に思います。それでもこの対応はこれからのなっちを守ろうとするものだと思うし、なにより迅速で真直ぐだったと思います。紅白辞退って凄いことだし、圭織の卒コンはどうなるんだろう、とももちろん思うけれど。…結局どうなるんだろう?

それでもなっち本人がきちんと謝罪して、反省しているという事実に、少しは楽になれてるといいなと思う。先週は相当きつかったんだろうな、いろいろ。

さすがに裕ちゃんたちが生放送で謝罪するのには胸が痛みました。裕ちゃん立派だったね。真直ぐだった。出来ればわたしもあそこに加わっていろいろ言いたかった。(悪気は無いんですよ、等)みんなで裏で「なっちのアホー!」と愛情たっぷりに叫びたかった。もちろん制服着るのは無理ですけど…。



なっちへ。
「ALBUM1998-2003」も「陽光(ひかり)」も私にとってはありのままのなっちがつまってる大切な本です。それはまったく変わらないです。以前書いた陽光の感想はコチラです。

私にはなっちが必要です。だから戻ってきて。物凄くつらいだろうし想像もつかないような大変な立場に立たされてしまってるのかもしれない。
でも私はこの件であなたのことを悪く思ったり出来ない。それはなっちがなっちだからです。あなたがなっちだからです。

負けないで。待ってます。いつも求めるばっかりでごめんね。